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オイリーカート インクルーシブシアターワークショップ

防備の為、長文です。

ついこないだまで京都でずきんずきん言っていた私ですが、家族に無理を言って、今度は東京で4日間、とあるワークショップに参加させてもらいました。

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オイリーカート インクルーシブシアターワークショップ。こちらの東京開催に参加させていただきました。
イギリスで30年以上にわたり、幼児から様々な障がいをもつ子どもたちを含む、すべての子どもたちに優しく寄り添い、美しくて、ユニークな演劇体験を提供してきた劇団、オイリーカート。今回、芸術監督のティムと、美術監督のアマンダが来日するとのこと。彼らの公式HPや劇団の活動にまつわる論文を読みながら、どんどん興味を深めて行く中で、正直一番心惹かれたのはこのワークショップの謳い文句でした。「知的障がいをもつ子どもたちにとっての鑑賞の意義を探るとともに、いわゆる演劇の演技とも、演劇教育に求められる資質とも少し異なる、子どもたちの反応をひきだし、受けいれ、応じていくパフォーマーの位置と姿勢、そしてスキルについても学びます。」日頃、こどもたちの為に小さな作品を上演している私にとって、いつも気になっていること。いわゆる演劇の演技とは少し違う感覚が必要であること。子どもたちの反応をいかに引き出すか、そのコミュニケーションの姿勢。障がいのある子どもたちの為だけに上演をした経験はないけど、彼らの活動を見ているとまさに今の自分に必要なことがちりばめられていると確信したので、圭くんや義両親、そしてなにより想くんに頼み込んで、少し無理をして、行かせてもらいました。

1日目のセミナーは彼らの上演映像や写真を見つつ、どのような点を重視して活動を続けてきたか、観客とどのように関わっているのかなどのお話を聞かせて頂いた。

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彼らはひとつの作品について障がいのない子供達に向けた上演バージョン、PMLD( 重度重複障がい児)のこどもたちに向けたバージョン、ASD(自閉症スペクトラム)のこどもたちに向けたバージョンと、3パターンを制作しており、そのそれぞれの上演パターンはそれぞれのこどもたちの特性に合わせたものになっていた。さらに言うと、子供たちそれぞれの個人的な特性にまでも合わせてその対応を変える、オーダーメイドの演劇、と言っていいほど丁寧な作りをしていた。
上演の前に、こどもと一緒に観劇する親御さんや先生方とコミュニケーションしてこどもたちがその作品世界に快適に存在し、その体験を存分に味わう為の準備をする。その段階から既に上演が始まっている。とても繊細で緻密な準備と、あらゆる事に対処する為の余白。だけど無駄がない印象だった。そのスマートさは特別なトレーニングの結果というよりは、いかに演劇で緻密なコミュニケーションをするかという実践の蓄積のように見えた。

障がいを持つ子供の場合、お芝居の始まりの部分をエンディングの段階で覚えていられなかったり、興味を失ってしまっていたりすることがある。そんな場合でもその子供達なりにその世界を味わえる、体験できる工夫が必要だ、と。そうして彼らがなしている工夫は、よりその世界観にクローズアップして、近寄って、”理解する”のではなく”体感する”ことができるようにしているように感じた。手触り、音、匂い…。一人一人がどのような体験をし、何を感じるかに特に焦点を置いて、作品を制作していた。

セミナーの翌日からはワークショップを3日間。場所はセミナーも含めて新宿区のとある施設の一室を借りて開催されていた。3日間を通して、基本的なシアターゲームやグループワークを通して何度か小さな作品制作を行い、その都度お客様を招いて見て頂いたり、フィードバックしたり。最終日には入居している利用者さんやこどもたちをお招きして少しまとまったパフォーマンスを見せる。というものだった。

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日々、新たな発見があったり感動したりしたのだが、3日間を通しての感想は・・・目からウロコ、とは違う、ただ、今まで自分がなんとなく指向していたぼんやりした海流が一気にぐっと近づいて本流に巻き込まれたような。。。ああ、こっちで間違いなかった!という確信に頬をなでられるような感覚がたくさんあった三日間だった。
今回私たちが作った短いパフォーマンス、特に「テーブルトップパフォーマンス」は、観客の前にテーブルを置いて、一人か二人の観客とそのケアをする人(親御さんか施設の担当の方)に向かって、なにか特定のストーリーを展開するのではなくて、自分が持っている道具や音などを使って観客に感覚的な働きかけをしていく、というものだった。観客によっては準備しておいたものが全く通用しないので別のアプローチを試すことになったり、場合によっては全然とっかかりがなくて不完全燃焼に終わったりする場面もあったのだが、基本的にはごく少数の観客と、深くコミュニケーションを交わすような仕組みになっていた。
それは、これまで自分が演劇を続けてきたことの根源的な理由を突きつけられるような瞬間の連続だった。
「私、こういうのを持ってきたんですが、どうでしょう?」に対して「うーん。。。おもしろいね!」とか「全然おもしろくない!」とか、無言で何も言わないけど、じっと見ているとか。中にはもう嬉しくて叫び出しちゃう人もいれば、イライラしてそっぽを向いてしまったり。そこには必ずリアクションがあって、そして私たちはそれを決して無視できない。どうにか拾って、なんとかしようとする。
そうこうしているうちに、演者も気付いているかいないかわからないけど、とても美しい瞬間が訪れたりする。訪れないこともあるけど。その余白もまたワンダフルだったりする。それもこれも全部ひっくるめて、ああ、inclusiveって私たちが包むんじゃなくて、私たち、包まれる側だったのだ。と静かに胸打たれたのでした。

こどもの為に演劇を作りたいと思ったとき、そうだったとふと思い出した。観客であるはずのこどもたち、ワークショップの参加者であるはずのこどもたちから、私たちはいつもたくさんのことを教えてもらっていたのでした。彼らの反応はいつもヴィヴィッドで、新鮮で、優しくて、手厳しい。人間であることそのものだったから、迂闊な私はいつも脇腹をつつかれて、油断するな!だけど、一番自分が楽しめ!と彼らに言われてここまで来た気がします。
今回目の前にした観客はこれまで相手にしたどの子どもたちよりも鋭敏な感覚を持ち、さらに正直で、さらに鋭く、手強い、そして誰よりも優しい観客だった気がします。そして例の如くまた、悪戦苦闘する私を包んでくれたのでした。

歳を重ねるごとに涙もろくなって、今回も良い歳して大勢の人の前で涙が止まらなくなってしまったのは内緒です。(ああ、恥ずかしい。頼む、みんな、忘れてくれ。)そんな私を美術監督のアマンダは優しく抱きしめてくれて別室へ連行し、優しく諭してくれました。
「なぜ私たちが、子どもたちや障害を持つ人の為に演劇を作るか。それは、それが一番面白いからよ!」
私も同じ確信を持っています。
そう、一番面白いと思ってるからやってるんだよ!

今回のこのワークショップ、仙台でも明日から開催されます。ひとりでも多くの方に体験していただきたいと思います。
詳細はこちら→オイリーカート仙台ワークショップ

企画してくださったシアタープランニングネットワークの皆様、シャロームみなみ風のみなさま、ティム、アマンダ、そして多くの出逢いに。心から感謝します。

この経験を活かせるかどうか。今月から保育園でこどもたちと演劇あそびの時間を持たせてもらうことになりました。
楽しい時間を過ごせたらと思っています。
詳細はまた後日。

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